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2014.10.23 Thursday

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2012.05.05 Saturday

東松島ボランティア

GW後半、東松島方面へボランティアに行ってきた。

気仙沼や石巻を再訪して復興の状況を見てみたいという気持ちはあったものの、
日程や予算の都合により、またまた未踏の地へ行くことになった。


5/2(水)23:00
横浜発のバスに乗り合わせるため、東京駅で待ち合わせ。
しかし大雨と強風でとても外では待っていられず、
近くのチェーン店で安くて不味い蕎麦を啜りながら時間を潰す。


バスに乗り込み、今回のボランティアの説明を受けて速やかに就寝。
GWによる渋滞のため、翌朝6:00に東松島の野蒜小学校に到着の予定が8:00になってしまった。

到着早々作業着に着替え、雨合羽を羽織る。
宮城でも大雨&強風が続いておりとても外で作業ができる状態ではなかったので、
市民会館の体育館に保管してある資材の整理や宿泊場所の小学校の掃除で一日が終わった。
仮設のお風呂はちゃんと男女に分かれて、男性陣はシャワー2箇所と浴槽1据を順番に使う。


東松島市が震災で蒙った被害は、
市民43142人中死者・行方不明者が1063人(全人口の約3%)、全壊世帯5443棟、
大規模半壊3044棟、半壊世帯2451棟、計10938棟(全世帯の約70%)、
避難者が最大約2万人にも上り、宮城県で一番被害比率が高い。
交番や消防署も流されてしまったため、野蒜小学校のグラウンドに設置されたボッシュ寄贈の仮設施設で運営していた。
しかし、その野蒜小学校も震災時には1階が水に浸かり、廃校となってしまったのだが。
しかも、野蒜小学校に避難してきた住民は小学校に入れてもらえず、
隣の体育館に回されてしまったそうだ。
その結果、津波に呑まれた体育館で多数の被害者が出てしまい、今もその周りには多くの花が供えられている。
体育館から外を見ると、海は遥か遠くに見える。
確かに、ここまで波がやってくると想像するのは難しい。
しかし現実に波は押し寄せ、多くの人が亡くなった。
後から批判をするのは簡単だけれど、もし自分がこの学校の教師だったとしたら同じ判断をしていたのかも知れない。


食事は震災後まったく店舗のなかったこの地域にようやく新しくできた『海鮮堂』で昼はカレー、
夜は近くのスーパーで弁当を買って持ち寄り(本来は昼のみの営業なので)、
地酒『浦霞』が振舞われて区長さんや個性的なふたりの漁師さん(仙ちゃんと新ちゃん)と一緒に宴会となった。

今回のボランティアでとても良かったのは、家族連れが2組、夫婦で参加が1組いたこと。
これは僕が今まで経験したことがないパターンだったけれど、
こういう復興支援のボランティアを家族ぐるみで経験できるというのは実に素晴らしいことだし、
ある意味羨ましいと思う。


二日目は奥松島で農地にする土地の残骸物撤去と、別の場所の草取り。
柱やら冷蔵庫やら、結構大きなモノがそこら中に転がっていて、
他のボランティア団体と共同で作業した。
自分の家の草取りは何だかんだと理由をつけてやりたがらない僕だけど、
流石にボランティアではそうはいかない。
草刈り機で竹やら蔦やらと格闘し、汗を流した。



三日目にしてようやく朝から晴れたので、散歩に出かけた。


仙石線(仙台と石巻を繋ぐ路線)は被害が酷く、まだ復旧されていない。
震災当時は地震の影響で遮断機が下りてしまい、渋滞になった車の列に津波が襲い掛かってきて多くの方が亡くなった。
周りを見渡すとほとんどが空き地となっていて、半壊の家が数件、
人が住んでいる家となると片手にも満たない。



この日は作業はなく、漁業体験とバーベキューというレクレーション的スケジュール。
しかし、子どもたちは貴重な体験ができたと思う。
是非また被災地に足を運び、できる範囲のことをしてくれればいいな。



このボランティアは全てサポートグループG代表の市原さん個人によって運営されている。
市原さんはどこかの団体に所属しているわけではなく、震災直後から今日に至るまで、
個人の力によってこの東松島を支援してきたのだ。
そのエネルギーと情熱は並大抵のものではないし、これからも続けられる限り支援をしていきたい、
というその想いに胸が詰まった。



またひとつ、再訪しなければならない土地が増えました。


それから正直、2泊4日という限られた時間の中ではできることに限界があったし、
土地を知ることも、他の参加者とゆっくり話をすることもできなかった。
個人的にはやはり一週間くらいのスパンで腰を据えて活動をしたいと思う。

それ以上の期間となると、もはやボランティアが本業となってしまう。
これからも【趣味:ボランティア】を続けます。





JUGEMテーマ:ボランティア
2014.10.23 Thursday

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